May 14, 2014

映画の時間、手巻き寿司

 フレデリック・ペータースの『青い薬』というBDを読んだ。細やかな感情の機微と画調とが、必然を持って結びついているようなBD。描き始めた当初の目的は出版になく、非常に個人的な動機からであったと知り、またその制作の経緯を併せて読み、必然の意味合いが腑に落ちた。

 恋愛とHIVを巡る、とても個人的な物語でありながら、道徳ではない、倫理の普遍的な問題に優しい光を当てている。美しく、胸を締め付ける物語だった。


               *


 その『青い薬』の最初の方に、アトム・エゴヤンの「ぞっとしない映画」を観るコマがあり、「もしかして『アララトの聖母』だろうか、それなら(ぞっとしない)なんて変だな」と首を捻っていた。後から二人の出会った年が2000年だと知り、それなら『フェリシアの旅』のはずだと思った。エゴヤンの映画は『エキゾチカ』『スイート・ヒアアフター』と追いかけて、何故か『フェリシアの旅』を完全に見過ごし、『アララト~』以降のものは見る機会がないままだ。どうにかして時間を作って観てみたいのだけれど、何時になることやら。


               *


 家で映画を観る時間がなかなか作れない代わり、4月に入ってから相方と二人で無理矢理に時間を作り、映画館へ行くようになった。時間が取れないのに無理やり時間が作れるというのも不思議な話なのだけれど、そういうもんだ。忙しく動きまわる場所から(一時的にせよ)いったん身を引き剥がす決意をしないと、ずるずるどこまでも忙しさに振り回されてしまう。

 決意していきなり『チスル』『アクト・オブ・キリング』と二週続けて観て、二人して大変なダメージを受ける。息抜きや娯楽を求めて映画館に行ってるわけではないし、倫理観や歴史観をグラグラに揺さぶられてグッタリするのは、とても良いことだと思っている。これもまた映画の醍醐味だ。

 それぞれ、まともな感想はとても書けそうにない。圧縮されているものが大きすぎるし、自分の中にこじ開けられた穴が大きすぎる。

 ただ『チスル』について一言だけ言えば、自国の黒い歴史に光を当てようとするような、つまり公正さを希求するような土壌が韓国の映画界にはしっかりと根づき始めている気がした。そしてそれは、日本の映画界が徐々に失い、すでに風前の灯火となっているものだ。

 そして『アクト・オブ・キリング』について、俺が何か言えるとすれば、あれは「戦争」「内乱」「歴史」「社会情勢」などといった分析の対象となりうる何かを追ったものではなく、思考で追尾することが不可能な人間の「真っ黒い不可解さ」を正面から見据えるため、そのツールを「発明」した映画だということだ。 

 罪そのものではなく、罪の意識が悲鳴を上げながらぱっくり傷をひらく。そこから歴史が見えている。それは罪そのもののように記録・記述されない。傷口から流れる漿液や血液のようにして、歴史は見える。決して思考で追尾されず、記録されず読まれない、ただ傷口のショックとそこへの共鳴だけが見せる歴史。仮に『アクト・オブ・キリング』が人間の歴史に関する映画であるとするなら、そういった意味の歴史であろうと思う。


               *


 手巻き寿司が爆発的に流行したのは、80年代のことだったように思う。CMなどを通じて仕掛けたのは広告代理店だったに違いないのだけれど、生鮮食料品の流通システムや生活様式の変化の中で、ある種の必然を持って流行したのではないだろうか。

 人の家でご馳走してもらったことは何度かあるのだけれど、自分で用意したことは一度もなかった。ふと考え直せば、特に難しい準備が必要でもないし、今のような大人数の暮らしにはもってこいのメニューではないか。

 食料を買い出しに行く日、ビンチョウマグロ、ハマチ、真鯛のサク、大きなコウイカを一杯、それに大判の海苔を仕入れた。翌日の仕事帰りに、胡瓜、アボカド、カイワレ、サーモン、カニ(もどき)を買い足す。

 持ち帰る際に圧力がかかって墨袋が破裂したコウイカを下ろすのには難儀したけれど、後はサクを手頃なサイズに切って大皿に盛り付けていくだけだ。少し甘みを入れた玉子焼きは相方が仕込んでおいてくれた。昆布を入れて硬めに土鍋炊きしたご飯と、ジャーに残っていたご飯を酢飯にして準備完了。

 こういう大皿を並べると、ちょっとワクワクするではないですか。

 レタスやマヨネーズなんかも用意して、カリフォルニアロールも出来るように。

 これ、良いなあ。人数多ければそんなに材料費もかからないし、随分贅沢な気分になれる。作るのも食べるのも楽しいから、またやろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Dec 15, 2013

ヨナス/アーレント

先日、二人で時間を捻出して、やっと
なんとか『ハンナ・アーレント』を観に行った

自分自身の来歴や、現在のこの国、世界の状況と重ねあわせ
胸に迫り言葉にならない思いが、余りにも多く去来した
映画を観終わった後、居酒屋で話していたのだけれど
なんども言葉に詰まり、胸が一杯になった

俺はユダヤ教徒ではないし、シオニズムも支持しないけれど
(過去においては)ハンス・ヨナスとの思想的な共通点が多く
そこを軸にして映画を観ていたように思う

何度も何度も、映画のことを書こうとして
かなりの分量のメモ書きをしたのだけれど
全部駄目だと思い、ゴミ箱に捨てた

アーレントが、ナチの犯罪を「人類への犯罪」だと言う時
ユダヤ教徒(世界宗教ではない)の「ショアー」が否定される
選ばれし民族の苦難が否定されてしまう

ヨナスはシオニストである一方で
実存主義的な解釈を用いながら
宗教史に繰り返し現れるグノーシスという普遍を読み解いた
その彼の一個の人格の中に
矛盾ではなく「引き裂かれ」がある

その引き裂かれた場所が
アーレントを否定している

そのあたりのことをずっとずっと繰り返し考えているのだけれど
どうしてもどうしても言葉にならない
もう少し時間をかけて考えないと、言葉が出てきそうにない

映画としての完成度や、演技の素晴らしさなど
語りたいことは沢山あるのだけれど
当面は何も書けそうにない
歯がゆい

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 09, 2013

アンダーグラウンド、ヘイワード、アクァパッツァ

例年通り、GWとはまったく無関係に働いていたわけですが
例年と違うのは、お店の仕込みがあるということ
「結構大変だろうな」程度に思っていたのですが
おおよそ「結構」どころの騒ぎではなく
クッタクタのヘトヘト、必死のパッチでございました

そんな怒涛のGWを乗り切り
相方と二人で、楽しみにしていた映画を鑑賞
去年買って、ずっと観られなかった『アンダーグラウンド』
プロジェクターの大画面で、十数年ぶりに観たのだけれど
もう本当に隅から隅まで素晴らしい映画で
二人して打ちのめされて感動しまくりでありました

特典ディスクに収められた
クストリッツァへのロングインタビューを観ると
彼の20世紀末時点における世界認識の正確さと
次世紀に関する予見の鋭さに、ひとしきり唸らされた
インタビュー中で一刀両断されるアンリ・レヴィが
後にサルコジに何を進言したのかを知っているだけに
当時の「映画監督引退宣言」に至った心中を想い
痛切に胸が傷んだ

商業主義的な映画への「我慢ならなさ」とともに
芸術性を映画にもたらした偉大な監督たちへの称賛を
何度も何度も繰り返し語るクストリッツァの
その強靭な意志と、反骨精神と、ユーモアとを
俺は心から尊敬している


               *


BACK TO BASICS と buoy という
まったくタイプの違う2つのバンドを始めて
改めて、ドラムが難しくて面白いと思っている

そういう時期にまた
チャールズ・ヘイワードが京都に来てくれた
なんというかもう、運命的な感じすらする

還暦を越えたヘイワードの
強靭で、過去に拘泥しない、最高のソロプレイを
恍惚としながら堪能した

「お前、またドラム始めたんか? 頑張れ!」

そう言われてるような気がして、震えた


               *


料理の写真をもっともっと撮ろうと思っているのに
気がつけば、食卓や保存容器やバットの上を
何十種類もの料理が、瞬く間に通り過ぎて行き
全然画像が残っていない始末……

唯一残っていたのは
自分が食べたいがために買ってきたホウボウの一品
材料の下ごしらえだけをして
相方に作ってもらったアクァパッツァ

この料理は、俺より絶対に相方の作る方が美味い
〆のパスタまで含めて、最高だった

付け合せは、焼き茄子に塩胡椒・オリーブオイル・バルサミコ
そろそろ焼き茄子の美味しい季節になってきました

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Apr 29, 2012

アンダーグラウンド、和定食、散歩

楽しみにしていたDVDが届いた

長い間ずっと絶版状態だったクストリッツァの『アンダーグラウンド』
先日のデジタルリマスター再上映に行くことが出来なかったので
本当に楽しみにしていたのだ
嬉しいなあ


               *


例によってGWにはまったく縁のない勤務体制なのだけれど
頭の一日だけは休みが取れた

昼食を作るのが面倒になったから
とりあえず散歩がてら外に出て
何か外食しようということになった

河原でパン食べるのも良いねえとか言っていたのだけれど
行ったことのない和定食の店があったことを思い出した

よこわのお造り定食
もんのすごい量、味も全然悪くない

ぶりアラの煮付けも強烈な量
意地で食べきったけど、お腹はち切れそう

香の物とちりめん山椒、煮物、それにはまぐりのお吸い物
これで二人で二千円は、かなりのお値打ちだと思う


               *


腹ごなしに近所を散歩
すっかり初夏の光と陽気

良い所に住んでるなあと思います、本当に

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Feb 23, 2012

間違えた映画、焼跡、黒豆納豆

珍しく、一人で夕食を食べた後で
DVDで映画を観ようと思い、棚から選んだのだけれど
ブルガリアの映画『ソフィアの夜明け』を再生したつもりが
当の映画の予告が再生された……
どうやらディスクを間違えたようだ

始まった映画は、いかにもヨーロッパ映画らしく
冒頭にタイトルが入らない
ストーリーが進むうちに分かってきたのは
ドーバーに面したフランスの街を舞台にしていて
クルド人難民の問題を前面に出した話であるということ

地味なカットの一つ一つに収められた光がとても美しく
上質のフランス映画特有の、無駄を排した演出が素晴らしい

エンドロールの直前で、やっとタイトルが分かった
原題は"WELCOME"、邦題は『君を想って海をゆく』
なるほど、この場所におかれてしかるべきタイトルだと思った
テレビの中に一瞬現れて消えた、サルコジの顔が蘇り
不寛容を絵に描いて額に入れたような隣人の顔と
その男の住まいの玄関マットの画像が、頭をよぎる

良い映画だった


               *


近所に、行ったことのない銭湯がある
銭湯自体は好きなのだけれど
何度か行ったのは、そことは別の銭湯

休日の夕刻
何故かふとその銭湯に行きたくなり
洗面器を抱えて外に出た

しばらく歩いて路地を曲がると
嗅いだことのある不穏な臭いが鼻をついた

 黒変して折れ曲がった柱、落ちた屋根
 焼けだされて放置された布団

足をわなわなと震わせながら
しばらくその場所に立ち尽くした

焼けたのは、ほんの数日前のことだったようだ


               *


黒豆納豆は滅多に買うことがない
大した値段ではないとはいえ
普通の納豆に比べると少し高く、躊躇してしまうのだ

賞味期限直前のものが半額になっていたので
喜び勇んで黒豆納豆を買った
好きなんですよ、やっぱり

半額処分の鮪をヅケにして残しておいたもの
見切り品のオクラを軽く塩もみしたもの
冷蔵庫に残っていた山芋の端を、あわせる

こういうので朝ごはんを食べると
大変幸せな気分になれます

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Jan 15, 2012

白い毛

年始に何本か映画を観たのだけれど
期待した程でもなかったり、期待とか別次元の娯楽だったり
でも「あ、これは良い」と思ったのもあった
フランソワ・オゾン監督の『しあわせの雨傘』だ

いかにもフランス映画らしい画面構成やカットの繋ぎには
この若い技巧派監督の「どうです?」という自信が感じられる
配役も、ドラマ展開も、演出も
全てがカチっと丁寧に組み合わさっていて
映画が何処かで破綻するのではないかという不安が
微塵も感じられない(これ、結構凄いことです)
「良い映画観たなあ」としみじみ思いました
ダルデンヌ兄弟作品でお馴染み、ジェレミー・レニエの
抑制の効いた演技が、特筆ものの素晴らしさでございました


               *


切らしていたナンプラーとシーユーダムを年末に買ったので
タイ風の甘辛い炒め物が、また簡単に出来るようになった

ニンニクの芽、エリンギ、セロリの葉、海老を
上記の二つの調味料とオイスターソースで炒める
少し濃いめにすると、お弁当に最適な味になります


               *


レンコンを炒めてバルサミコの味でまとめるアイデアは
ご近所のスミちゃんの料理から学んだパターン

今回はベーコンの旨みと赤万願寺の甘味・色味をプラス
これもまた「酢と油」の応用編ですな
炒める工程で濃縮されるバルサミコの旨みが
レンコンの食感、甘味と一つになって、とても美味しい


               *


犬と一緒に一日家の中で過ごすと
本当に静かで大人しくしてくれていて
時折その存在を忘れてしまうほどだ

随分落ち着いたな、と思っていたら
眉のあたりの毛が、少し白さを増した気がしてきた
気のせいかもしれないけれど

うちに来て4年か
今年、お前8歳(推定)になるのな

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Oct 29, 2011

ディアスポラ

『女と孤児と虎』という映画を観た
ここまでドーンと強く映画に打ちのめされたのは、久しぶりのこと
いや、久しぶり、などという次元ではない
こういう衝撃を映画から受けたことは、未だかつて無い

まず「~みたいな映画」といったような参照軸が全く見当たらない
だからといって芸大の学生が撮ったような独りよがりではない
まったくその逆で、鋭く強い意志が全編を貫いており
その都度ごとに絶対に必要な表現形態しか選ばれていない

多層的、重層的ないくつもの語り、言葉が紡がれ
非常に「映画的」なロングショットの合間を
それぞれ有機的に結合するような、多様な映像文法が結ぶ

しかし、とても敷居が高く、難しい映画だと思う
今様の言葉を使えば高度に複合的な「リテラシー」が必要だ
全身全霊をかけて対峙しても、それでも「わからない」謎は残る
ただし、それは絶対に必要な困難さなのだ

韓国近現代史、特に戦争と女性を巡る帰結を
己の血の中に色濃くもった人たちの
その困難で途方に暮れるような語りは
安易な隠喩に溶かされて「ストーリー」に昇華することなどない
理解しがたい不可解さが、分かりやすい起承転結に纏められる時
この監督が激烈な意志で描こうとしたものは
全て、一つ残らず消散してしまうだろう

ものすごい映画だった
完全に打ちのめされた

| | Comments (0) | TrackBack (0)

その他のカテゴリー

book | cooking | dog's life | drums | Eat | fiction | fishing | fukushima | health | LIQUID SCREEN | movie | music | news | ordinary