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Apr 20, 2014

動く意志

 何度か繰り返し自問してみた。「俺が行く必要はないのでは」と。愚問だった。

 よく晴れた春の朝だった。パーカーの上にBLOW ONE'S COOLのTシャツを着た。

 「何、そんな重ね着すんの?」
 「そや、80年代スケーターやからな」
 「オッサンには厳しい格好やな」
 「はは、まあええやん」

 仕事を半日で切り上げて駅に向かった。コンビニで買った冷やし担々麺をホームのベンチでかっ食らっている時に、既に電車に乗っていた相方からショートメッセージが届いた。

 (中止っぽい)
 (まじかいな)

 肩や背中の緊張が緩んだ。それでもまあ、不確定な情報しかないから、とりあえず現地には行こうということになった。車両で落ち合い、一路大阪へ。

 一瞬錯綜しかけたが、Twitter上の情報は直ぐに整理されていった。レイシストによる鶴橋駅前での街宣は中止になったという。最悪の気分で喉を枯らす覚悟をしていたのだが、そんな必要は無くなった。

 鶴橋駅を降りると、大きな警察車両に待機している警官たちや、路上に立つ警官たちの姿が見える。ただ、彼らの表情に緊張は見えない。

 相方に案内してもらって、初めての街をブラブラと歩く。カナリと、買い換える必要があったサムギョプサル用のプレートを買った。目に映る全てが新鮮で、心躍る。週末の活気あふれる商店街の空気が、とてもとても楽しい。

 見知った顔に何人か出くわす。安堵と喜びで、皆表情が柔らかい。

 「あっ! そのTシャツ! 本人ですやん!!」
 「せやっ! 気合入れよう思て着てきてん」


               *


 俺が行く必要はあったのだと、改めてそう思った。愚問は、問のカタチを解きほぐせば「誰かが行ってくれるはずだ」という人任せな発想の言い換えに過ぎない。誰も皆「誰かがやってくれる」と思ってしまえば、民主主義は終わる。

 「誰もやってくれない」という不信ではない。むしろ必ず誰かが動くという信頼があるからこそ、俺も動くのだ。そういうバラバラの個々の動く意志が束になり、奴らを止めたのだ。


               *


 明るいうちに鶴橋を離れ、友人と落ち合い、天満ではしご酒をした。ちっぽけなヒロイズムに酔ってはいけないと思った。その代わり、しこたま飲んだ酒に酔った。最悪の日を覚悟していたのに、一生忘れられないような最高の1日になった。

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