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Jan 24, 2014

思い出す

「ネーションステートはフィクション」であるという言い回しには、何年か前の俺自身、悪い意味ですっかり毒されていたように思う。

 人為的に措定されたネーションステートの機構を、人為的であるが故(つまりフィクションであるから)悪であるとして糾弾する立場は、ネーションやそれ以前のありとあらゆる社会共同体に先行する「人為的に措定されない《本質的な》なにものか」を前提しない限り成り立ち得ない。それが意識的であれ、無意識であれ。毒されるということの意味は、つまりそういうことだ。

 こういった思考には、いとも簡単にデモーニッシュなものが介入してくる。「人為的に措定されない《本質的な》なにものか」など、それこそ原理的に人智が及ぶはずのないものだ。フィクションに対する「本物」を声高に言わんがために、人知の及ばぬはずのものをまるで我が物のように「これこそが本物だ」と主張する。「自然」や「風土」といった言葉は、そういった思考にとってのマジックワードになりがちだ。そしてこの思考パターンは、実のところカルト信者のそれと同じだ。

 「この世界はどこかがおかしい」
      ↓
 「自分および世界を認識する枠組みが間違っている」
      ↓
 「ほんとうに正しい認識の枠組みを与えてくれるのはこの《本物》の原理だけだ」
      ↓
 「疑う余地のない《本物》に敵対するものは悪であり、駆逐されなければならない」

 人間自身が人間が作ったものの機構的な問題を改善しようとするなら、人知の及ぶ範囲で最善をつくすより他手立てはない。人知の及ぶ範囲を手放した時、それが左右両極端な政治運動であれ、度を越えたPCであれ、全体主義であれ、カルトであれ、いずれにせよデモーニッシュな力によって破滅する。

 フィクションに対してフィクションで挑むのは、悪魔的な力の入り込む隙間を予め埋めておくということだ。人智に先行するものは人智で掴み得ない。目は目自身を見ることが出来ず、手は手自身を掴めない。極めて単純な話だからこそ、人はいとも簡単にそれを忘れる。何年か前までの俺も、それを忘れていた。忘れていたことを思い出した。

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Jan 22, 2014

キンメを骨まで

状態の良い大きな金目鯛が格安で売られていた
美味しい魚であることは知っていても
普段は手が出るような値がついていない
ほとんどハマチ同然サイズの砲弾のようなツバスや
舌平目、太刀魚などと共に躊躇なく買った

キンメは何をしても美味しい魚だ
上品なコクのある脂を皮目に備えた白身は
きめが細かく、旨味も濃い
ハタ類のような強い弾力は無いが
絶妙な身の柔らかさで、口に含んだ時の感触も快い
他には代え難い、独特な旨味の魚だと思う

住人が揃う日、相方のリクエストで清蒸にすることに決めた

以前、蒸籠に入りきらないサイズの真鯛を蒸した時
最初に頭と尾の部分だけを蒸しておいて
大きくぶつ切りにした身を後で蒸し
一匹のサイズが分かるように大皿に並べた
今回もその方法を使う

平皿の上に白ネギの頭を下駄にして
塩を打ってしばらく置いたキンメを置き
生姜の薄切りをエラや身の間に差し込み
酒を少々振って強火で蒸し上げる

大皿に配置しなおしたキンメの上に白髪ネギを乗せ
煙が出るまで熱したごま油をジュッとまわしかける
水と醤油とオイスターソースを小鍋で火にかけたものを
最後にざっとかければ出来上がり

みんなで賑やかに囲んでつつき
骨以外薬味のネギも生姜も何も残らないところまで
綺麗に食べつくしました
大満足

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Jan 03, 2014

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Jan 02, 2014

おせちをつくる

あけましておめでとうございます

今年は、初めてまとまったおせちを作ってみました

派手なところのない、田舎のおせちです

台湾から来てくれた、住人の家族や友人と一緒に
ちょっと晴れやかな元日の宴を楽しみました

本年もよろしくお願い致します

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