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Dec 25, 2013

航路

通勤電車に乗ると、顔ぶれが半分以上も変わっている
ああ、年の瀬だな、と気づく


               *


家族を、家を、別様の船に変えて水面を走らせたい
そういう密かな想いを持っていた
震災と原発事故とが、その想いに拍車をかけたように思う

沈まぬよう、俺も相方もぶっ通しで走り続けた

軽やかに滑るヨットでも豪奢な客船でもない
それでも、驚くほど多くの人達がこの船に乗り込み
見たこともないような航路を進んだ

困難な航海ではあっても
喜びと驚きが、毎日、俺たちを鼓舞してくれている
まだまだ、これからも続く


               *


オーブンを多用するようになった
そろそろ、加熱の特性なども分かってきて
あれこれ考えながら調理を試すのが面白い
鶏の胸肉のシンプルなグリルが
最近一番のお気に入りメニュー

ハーブソルトを摺りこんで冷蔵庫で寝かせた胸肉に
オイルを刷毛塗りして焼くだけの単純な料理なのだけれど
上手く加熱してやると中身はしっとりと柔らかく
皮目はパリっとして香ばしい
適当な厚さに切ってマスタードを付けても美味しいし
サンドイッチにしてもたまらなく美味い
焼く前に塗るオイルに溶かしバターやガーリックを加えたり
黒胡椒のアクセントを効かせても良い


               *


ホウボウのアクァパッツァはとても美味しい料理だ
細かな繊維の身質は上品でいて味が濃く
皮目の脂も独特の旨味を湛えている

骨だけになった皿が帰ってくると
とても嬉しい

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Dec 15, 2013

ヨナス/アーレント

先日、二人で時間を捻出して、やっと
なんとか『ハンナ・アーレント』を観に行った

自分自身の来歴や、現在のこの国、世界の状況と重ねあわせ
胸に迫り言葉にならない思いが、余りにも多く去来した
映画を観終わった後、居酒屋で話していたのだけれど
なんども言葉に詰まり、胸が一杯になった

俺はユダヤ教徒ではないし、シオニズムも支持しないけれど
(過去においては)ハンス・ヨナスとの思想的な共通点が多く
そこを軸にして映画を観ていたように思う

何度も何度も、映画のことを書こうとして
かなりの分量のメモ書きをしたのだけれど
全部駄目だと思い、ゴミ箱に捨てた

アーレントが、ナチの犯罪を「人類への犯罪」だと言う時
ユダヤ教徒(世界宗教ではない)の「ショアー」が否定される
選ばれし民族の苦難が否定されてしまう

ヨナスはシオニストである一方で
実存主義的な解釈を用いながら
宗教史に繰り返し現れるグノーシスという普遍を読み解いた
その彼の一個の人格の中に
矛盾ではなく「引き裂かれ」がある

その引き裂かれた場所が
アーレントを否定している

そのあたりのことをずっとずっと繰り返し考えているのだけれど
どうしてもどうしても言葉にならない
もう少し時間をかけて考えないと、言葉が出てきそうにない

映画としての完成度や、演技の素晴らしさなど
語りたいことは沢山あるのだけれど
当面は何も書けそうにない
歯がゆい

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Dec 10, 2013

檸檬

広島の東さんと一宮さんに頂いた綺麗な地物のレモンを
熱湯消毒した広口の瓶を使って塩漬けにした

かなり以前から作りたいと思いつつ
なかなか実行できていなかった宿題
やっとのことで手を付けることが出来た

発酵して料理に使えるようになるまでしばらくかかるけれど
とてもとても楽しみだ

やりたいこともやらなくちゃならないことも
まだまだ目の前にいっぱいある
死ぬまで終わらない宿題の山
嬉しい限りですわ

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Dec 07, 2013

i put a spell on you

 俺は、随分昔(たぶん中学生の頃)から、核シェルターが嫌いだ。

 ずいぶん長いこと考えてきたのだけれど、結局、核シェルターそのものではなく、核シェルターで自分と自分の身内だけ生き残ろうとする発想が自分にはおぞましくあさましいものに思える。だからまったく相容れないのだ。

 日本の現政権は、そういう発想しか頭にない人間が動かしている。核シェルター政権。

 外の世界が炎に包まれ灰と化しても、己とその身内が生き残ればそれでいいと思っている。他者への共感も、他者との共生への意志も無い。おそらくは自他さえも未分なのだろう。そんなゾンビどもに歴史も民主主義も理解できるはずはない。

 地獄に堕ちて業火に焼かれるが良い。呪われよ。呪われよ。呪われよ。

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Dec 06, 2013

糞は糞

 通勤途中、まるで左翼かぶれの学生のように「企業体は狂った機械だ」という思いがポカリと心に浮かんで、そのあまりの青臭さに苦笑いしてしまった。

 しかしそのアイデアの青臭さと、そのアイデアが真実を捉えているかどうかという問題は無関係だ。「青臭いから真実でない」というのは、判断として誤謬だろう。

 自ら青臭いと一笑に付した考えではあるけれど、改めて考え直せば、何も間違った考えではない。大人は(もちろんこれは悪い意味だ)、往々にして上記したような誤謬の判断をする。誤謬の判断をすることが処世として求められているからだ。故に、「企業体は狂った機械だ」といった考え方は「大人ではない=青臭い」ものとして一笑に付されることになる。

 「自由主義経済は自らの暴走を止める原理を備えていない」とか「原子力発電は根本的に制御不可能なテクノロジーだ」とかいうのも同じ。大人は(これももちろん揶揄だ)、そういった直截な真実を口にしない。

 誤謬の判断が処世として求められるのは何故か?簡単に言えば『裸の王様』の寓話と同じことだ。王様が裸であること=直截な真実を指摘したら「飯が食えなくなる」から。おまんまの食い上げってやつ。

 だから大躍進政策の時代にハリボテの超巨大な作り物野菜がその「成果」として目の前に出されても、大人は「素晴らしい」と拍手を送ったし、ロケットエンジニアが作った金融プログラムで実態のないマネーが風船みたいに膨れ上がっても、大人は「素晴らしい」と拍手を送った。野菜は作り物に過ぎない。風船に中身は無いし弾ける。それでも大人は拍手した。

 だけどちょっと待てよ。それ本当に大人の必要条件なのか?大人って、そんなつまらないものなのか?


               *


 つまらない大人が、つまらないゲームをして、つまらない、そしてどうしようもない保守政権を作り上げた。挙句の果て、かつてない横暴を連発し、民主主義を根幹から否定するようなシステムを作り上げようとしている。

 つまらない大人が馬鹿だったからこうなったのだ。

 ろくでもない思いが頂点に達した日、ネルソン・マンデラが歿した。その死に対し、クソボケの先頭に立つクソボケ中のクソボケ首相が、その死を悼む(形式だけ)コメントを出した。冗談にもなっていない。マンデラが何と戦った人だと思っているのだ。はらわたが煮えくり返る。

 クソボケの目糞にして鼻くそである安部首相には、マンデラの以下の言葉をよくよく吟味してもらいたい。そんな読解力ありゃしないだろうけれど。

I was called a terrorist yesterday, but when I came out of jail, many people embraced me, including my enemies, and that is what I normally tell other people who say those who are struggling for liberation in their country are terrorists. I tell them that I was also a terrorist yesterday, but, today, I am admired by the very people who said I was one.

かつて私はテロリストと呼ばれていました。ところが、刑務所から出てみると沢山の人たちに迎え入れられました。そこには私の敵もいたのです。私はたいていこの話をするんですよ。祖国の自由解放のために戦う人たちをテロリスト呼ばわりするような人に対しては。私もこないだまでテロリストだったんですよ。でも今じゃ、私をそう見なしていたような多くの人たちまで賞賛してくれてますよ。ってね。

(ネルソン・マンデラ『ラリー・キング・ライヴ』出演時の言葉)
 

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