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Jan 12, 2013

トッドと近代の超克

 エマニュエル・トッドの著作を読んだわけじゃなくて、入門書的なインタビュー本(『アラブ革命はなぜ起きたか』)を一冊読んだに過ぎないのだけれど、彼の方法論に強く惹かれる理由をぼんやりと考え続けている。以下、散漫な途中経過。


               *


 二十代後半から三十過ぎ頃、俺は大学という場所を離れて、自由気ままに本を読む喜びに耽っていた。

 主な関心は二方向へと向かっていた。一方の関心は「金および経済とは何か?」。もう一方の関心はヨーロッパの中世を最初の足掛かりにした「歴史」。

 歴史への関心は、カルロ・ギンズブルグからアラン・コルバン、さらにフェルナン・ブローデルへと遡及的に辿る読書へと繋がり、アナール学派に範をとることが出来る20世紀の「誠実な」歴史学の流れに、大変な感銘を受けた(残念ながらその大方全てが記憶に残っていない……)。

 思い起こせば、自分の近視眼的な過ちに愕然とした体験が、歴史学へと目を向けるきっかけだった。

 俺の大学時代の先生は、西谷啓治晩年の愛弟子だった。細かい事は端折るが、当然のように『近代の超克』に関心を持つようになった。そしてある一定の期間、京都学派の提示した「日本の世界史的使命」であるとか「モラリッシェ・エネルギー」といったものが、現代においても有効・有用であるかのように錯覚していた。

 幼い、あまりにも近視眼的な錯覚であったと思う。錯覚と盲信の構造は、今のネット右翼と大して変わりはしない。いや、同じだ。その幼い錯誤を相対化するためには、ブローデルの「長期持続」ような射程の長い歴史視座が必要だったのだ。

 ところで、そのブローデルを一人の祖としているのがアナール学派であり、トッドはその系譜につながる者という自覚を持っている。

 自らの方法論において家族構造をアプリオリなものとして考えるトッドは、ドイツ、日本や、かつてのアテネのような「直系家族」基体とする民族には、共通する自意識があることを指摘している。その一つが自民族中心主義だ。

 トッドによる直系家族の定義をWikipediaから引用してみよう――

「子供のうち一人(一般に長男)は親元に残る。親は子に対し権威的であり、兄弟は不平等である。ドイツ、スウェーデン、オーストリア、スイス、ルクセンブルク、ベルギー、フランス南部 (地中海沿岸を除く)、スコットランド、ウェールズ南部、アイルランド、ノルウェー北西部、スペイン北部(バスク)、ポルトガル北西部、日本、朝鮮半島、台湾、ユダヤ人社会、ロマ、カナダのケベック州に見られる。イタリア北部にも弱く分布し、また華南に痕跡的影響がある。かつてはアテネもこの形態だった。日本とユダヤではいとこ婚が許され、他では禁止される。基本的価値は権威と不平等である。子供の教育に熱心である。女性の地位は比較的高い。秩序と安定を好み、政権交代が少ない。自民族中心主義が見られる。」

 あまりにも明快過ぎて笑ってしまいそうになる。トッドの視座を借りて京都学派の「近代の超克」を見れば、大東亜共栄圏を理論的に下支えする「世界史的立場」なんてものは、家族構造に起因する自民族中心主義の発露にすぎないのだ。

 トッドの理論に深い感動を覚えるのは、俺の個人的な二十年を綺麗に相対化した上で、さらに「事実を事実として認めることで事実を超えろ」という励ましを与えてくれるからではないかと思っている。


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 あと二十年生き長らえたとして、その時にトッドの方法を振り返った時、俺は何を思うだろうか。否定するのか、それとも再肯定することになるのか。それが今から楽しみでならない。

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