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Sep 19, 2015

20年のdumb


 ダムタイプの『S/N』の公演映像を観て来た。20年、避け続け、拒絶し続けてきたものだ。90年代から00年代のほぼ全ての期間「アーティーなもの」を意図的に拒絶してきた。それが如何にも子供じみた拒絶のポーズであること、芸術的なものへの憧れの反動であることも承知しつつ、半ば惰性のように拒絶し続けてきた。

 結局は頭の中に描いた「アーティーなもの」への反発でしかないことを自分自身一番良くわかっていた。だからそれは惰性として続いたのだ。パンクロック的なポーズだったと言っても良い。反抗の形としての「反アート」自体を否定するつもりは無いが、今日、今、もう自分には必要がない。

 上映中、俺は三度涙を流した。一つ目は、ひび割れたアジテーションで、人間のありとあらゆる属性が消えることを夢見ると語られるところ。二つ目は、「あなたが何を言っているのかわからないけれど、あなたが何を言おうとしているのかはわかる」と語られるところ、そして最後、万国旗に笑いながら泣いた。

 それらは、アートを拒絶したパンクロックが、ハードコアな表現の極点で響かせたものとまったく同じだった。誰もがそう受け取るとは思わない。だが俺には瓜二つに見えた。

 批評家がダムタイプを語る言葉も、芸術家がダムタイプを語る言葉も、友人知人がダムタイプを語る言葉も、全て目に入れず耳にも入れずにきた。それで良かったと思っている。

 何か得体の知れない必然のようなものがあって、今、今日この日に『S/N』を観て、それが間違いなく真っ直ぐに普遍の倫理を掴み取ろうとするハードコアな表現であったことに感銘を受けた。20年前の俺がそれを掴めていた自信は無い。

 レイシストに対するカウンターへ参加することが、この日に繋がったこと。またこの日が日本の歴史を画する新しい日であること、その必然を力強く想う。
    

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Oct 02, 2014

Innocent Bystander

 傍観者の罪、ということを考えさせられる文章を幾つか読むうち、少し前によく聴いていたDan Hicksの"Moody Richard (Innocent Bystander)"という曲のことを思い出した。歌詞を確認し、ざっと訳してみて、また考え込む。

 1972年の曲。当時のアメリカはベトナム戦争の終盤へと向かう頃。飄々と軽快な楽曲が並ぶ中に、こんなにも激しく(表面的な意味ではない)深刻な政治性が刻まれているとは、思っても見なかった。

 そして、当時のアメリカの政局や状況、近代史を見る中で知った様々な政治の暴走を、こんなにもヒリヒリと肌で感じる時が来ようとは、思ってもみなかった。それは様々な予兆を「傍観」した、この己の不明だと思う。

 傍観は、罪なんだよ。

Moody Richard (Innocent Bystander)"

Moody Richard, he was always hangin' round
Moody Richard, was the biggest square in town
Moody Richard, he was always on the scene

ムーディー・リチャード 奴はいつだってウロついてた
ムーディー・リチャード 街で一番大きな公園で
ムーディー・リチャード いつだって姿を見かけたよ

But his presence never really meant a thing
He was an innocent bystander
Watching his time go by
Mister Innocent Bystander
Doesn't your time fly by?

だけど奴の存在に意味なんかありゃしない
罪なき傍観者だった
ぼんやりしてるだけの
罪なき傍観者様よ
時間が経つの、速く感じないか?

Moody Richard, never had a thing to say
But his silence didn't matter anyway
And his problem was an easy one to solve
Moody Richard never really got involved

ムーディー・リチャードには、特に言いたいことも無かった
だけど黙ってても全然問題なかったんだ
奴が抱えてる問題なんて直ぐ解決できる類だったし
ムーディー・リチャードは結局、何にも参加しなかったのさ

He was an innocent bystander
Watching his time go by
Mister Innocent Bystander
Doesn't your time fly by?

奴は罪なき傍観者だった
ぼんやりしてるだけの
罪なき傍観者様よ
時間が経つの、速く感じないか?

But he's guilty of one crime
Must he ruin your life and mine?
For he's always standing by
In the corner of your eye
Yes, he's guilty! Guilty!

でも奴はある罪を犯してる
君や俺の暮らしを脅かしてるはずだろ?
だっていつでも日和見してるだけなんだから
君の視界の片隅で
そう 奴は有罪! 有罪だ!

Just an innocent bystander
Watching his time go by
Mister Innocent Bystander
Doesn't your time fly by?

ただの罪なき傍観者
ぼんやりしてるだけの
罪なき傍観者様よ
時間が経つの、速く感じないか?

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Sep 13, 2014

GEGEN NAZISと恥の思い出

 俺が初めて海外に出たのはソ連崩壊直前のこと(当時一番「安い速い」アエロフロートのモスクワ経由)。到着したウィーンの町外れで、何度か"GEGEN NAZIS"(反ナチス)のスプレーペイントを見かけた。

 その2年後、東西ドイツ統一とソ連崩壊を挟んだ後のドイツ滞在中、至る所で同じ文字を見かけた。テュービンゲンのユースホステルで親切にしてくれたパンクスのお姉ちゃんも、DIE TOTEN HOSEN(ドイツでおそらく一番メジャーなパンクバンド)のパッチと並べて"GEGEN NAZIS"のパッチをジーンズに貼り付けていた。

 東西ドイツ統一後のドイツで、件のスローガンのグッズが爆発的に増えたのには理由がある。統一の余波による不況を背景に、移民に職を「奪われている」と感じている失業層の増加を利用し、ネオナチが勃興していたからだ。特に旧東側地域の若者たちを中心として、過激な外国人排除を唱えるヘイトクライムが繰り返し起きていた。少し調べれば、当時起きた大規模な集団暴行、放火事件などを確認することが出来ると思う。

 戦後のドイツは、外国人労働者(特にトルコからの移民)の手を借りながら経済復興を果たしていった。汚れ仕事や肉体労働を多く担う彼らの存在がなければ、戦後復興はあり得なかった。ドイツの街を歩けば沢山のケバブスタンドやトルコ料理店などを見かけるはずだ。そうやって既にその地で暮らしの基盤を作り、その地の文化の一部となっているにもかかわらず、移民たちの存在は、鬱屈とした感情を吐き出す為のはけ口にされていった。民族主義という亡霊が、それをドライヴしていた。

 当時のドキュメント番組(確かBBC製作だったと思う)を観ていて強烈に印象に残ったエピソードがある。それはかつて東独から旧ソ連に移り住んでいたドイツ人の二世へのインタビューだった。彼らはドイツ語を話すことが出来ないのだが、制度的にドイツ国民として認められるため、ソ連邦崩壊後に多くがドイツへ「帰国」している。その彼らに「外国人移民(つまりアジア・アラブ系の移民)」について尋ねると「外国人が増えると治安が悪くなるので怖い」とロシア語で答えるのだ。

 同じ番組で、旧東独地域の若いネオナチはシュナップスをビールで割ったものを喉に流し込んでから「俺に言わせれば、奴ら(移民労働者)は人間じゃない」と語っていた。今のこの国のネトウヨや行動保守とそっくりだ。

 ドイツのどの街だったか忘れたのだけれど、安宿で階段を間違え、建物内で働く人たちの休憩室に入り込んでしまい、お互いにギョッとしたことがある。「何してる」と聞かれ「ビールでも買いに行こうと思って」と答えると、「もう店も閉まってるからここで一緒に飲んで行け」と言われた。その夜、ギリシャからの移民のおっちゃんたちと一緒にナッツを摘みながら、ぼんやりテレビを見てビールを飲んだ。何を話したか、そもそも話が通じていたのか、いつまで飲んでいたのか、さっぱり思い出せないのだけれど、何度も爆笑していたことだけはしっかり覚えている。

 当たり前の話だが、俺もおっちゃんたちも同じ人間だ。ナイーブに過ぎるか?だから何だって言うんだ。

 当時の俺が移民とネオナチを巡るドイツの社会状況をどれ位正確に把握していたのかはっきりと覚えていない。色々と調べて読み始めたのは帰国してからだと思う。しかし、ドイツであれこれ見てきたことがきっかけで、問題を人事と考えなくなったことは確かだ。

 とりあえず話をテュービンゲンに戻す。

 滞在最終日のチェックアウトが早い時間になることを伝えると、件のパンクスの姉ちゃんは「あたしその日早番だから、朝ごはん用意しといてあげるよ」と答えてくれた。朝食時間の1時間以上も前だというのに。で、その朝ごはんを一人で食堂に座って食べている時、彼女のジーンズに例のスローガンのパッチを発見したのだった。

 「それ、どこに売ってる?」
 「これから大きな街にも行くんでしょ?ならどこにでも売ってるよ。」

 彼女の言う通りだった。ベルリンではいろんな場所、店でそのマークとロゴを目にした。あれこれ悩んだ末、結局黒地に赤と白でロゴが入ったTシャツを買って帰った。そのTシャツは擦り切れて穴が開くまで着た。
 
 Tシャツにちなみ、ついでに恥を晒しておく。

 ドイツに行く少し前のことだ。バンド関係の友人と冗談で「ドイツ語で差別ネタのラップでもやって、ユニット名を"Nazi Boys"にするか」などと言ってたのだが、悪乗りした友人が手摺りでTシャツを2枚作ってしまった。

 「日本人がドイツ語で差別ネタのラップ」というのを、諧謔的なギャグの範疇にあると考えていたわけだ。当時の俺も友人も「モンティ・パイソン的な悪ノリ」のつもりでいたのだろうが、今から考えれば愚かにも程がある。さすがに袖を通さず処分したのが唯一の救いだが、それにしてもこの感覚の麻痺具合はあまりにも酷い。

 だからといって、だからといってだ。「俺も間違いを犯していたのだから人にとやかく言う資格はない」などとは言わない。あたりまえだ、目の前で人道に対する罪が行われている時、尊厳が踏みにじられている時、ほんの少しも歴史を省みることもない露骨な排外主義が跋扈している時、俺はとやかく言う。

 そんなことに資格などいるものか。アホンダラ。

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Jul 05, 2014

ハイデガーとアーレント

 教養が身についたことが無いし、身につける資質もないけれど、中世ヨーロッパを足がかりに数百年単位で歴史を考えるようになって以来「手垢もついておらず借り物でもない」概念や言葉などないと思うようになった。

 例外はある。しかしそれは超歴史的なものだ。ただしこの話をし始めると「宗教キチガイのオッサン」扱いを受ける。事実なので仕方がないけれど。

 全体主義という、それまで人類が経験しなかった悪夢の原液を浴びたハンナ・アーレントは「超歴史的ではない言葉」でそれに抗おうとした。

 ユダヤ教という、端的な超歴史性(つまり神)を支柱にした民族宗教内の問題ではなく、全人類に対する罪として、全体主義と絶滅収容所を考察批判するためだ。彼女は歴史の言葉の外に出ない決意をした。

 アーレントの著作が「難解」であるのは、論理や思想的なバックボーンの複雑さがその原因ではない。超歴史的なものに、歴史の内部に留まって抗おうとしたからだ。つまり、あえて手垢のついた言葉を手放さなかった。

 端から不可能に挑んだのだ。「でもやるんだよ」という話。難解という言葉はあたらないかもしれない。晦渋と言った方が良いような気がしてきた。

 ハイデガーはそれを簡単に諦めた。だからああいう風になった。宗教もどき、似非神秘主義、もったいぶったほのめかしといかにもそれらしい造語の嵐。

 ハイデガーの思想の支柱になる概念郡は、実はそんなに「難解」ではない。神や宗教に「親しまざるを得なかった」者達にとっては。

 アーレントの著作群が、民主主義と世界を再考しようとする人たちに何度も読み返されるのとは対照的に、ハイデガーの著作を何度も振り返る「哲学学者」たちは浮世離れしている。勿論「浮世離れ」は揶揄だ。端的に言ってアホだ。

 この「アホさ加減」は、本居宣長に取り憑かれる国学者と共通している。本居とハイデガーに共通する「思想と政治性の表裏一体」には戦慄すら覚える。

 二十数年、ハイデガーもアーレントもろくずっぽ読み返してないけれど、最近になって、今現在のこの国の状況を鑑みながら、そのあたりのことを反芻することが多い。

 「何かの役にたつ」ことだけが思想の役割ではない。根本的にはむしろ逆だとも思う。

 しかし、全体主義、難民の世紀、新自由主義とグローバリゼーションを経て、亡霊のように何度も蘇ろうとするものに対し、ハイデガーや本居宣長の「思想」は何の役にも立たないばかりか、却ってそれを助長することには留意しておくべきだと思う。

 正直に告白しておく。俺は二十数年前の一時期、京都学派と近代の超克に魅了されていた。

 目を覚ましてみれば、なんという戯言だったのだと思う。頭でっかちな戯言。マンボ・ジャンボ。その戯言を懐に抱えて戦地に散った人たちのことを思うと、たまらない気分になる。

 目の前に仮想のハイデガーと仮想のアーレントがいる。

 仮想のハイデガーはこの俺のたまらない気分を「忘れろ」と言い、過去の思想的な偏向については「沈黙しろ」と言う。

 仮想のアーレントは「忘れるな」と言い「語れ」と言う。 

 民主主義というのは、端から不可能なものであり、連続する「でも、やるんだよ」の終わらない戦いなのだと思う。お前はどちらに立つのだと問われ続けている。

 細々した思想史や神学や歴史学や、そういった「教養のようなもの」が自分の頭から綺麗に流れ去ったことを、今は神に感謝している。お陰で、物事が少しだけクリアーに見えるようになった。

 安倍晋三、死ね。

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May 21, 2014

健康体

梵と暮らし始めたのは2008年の4月
なので6年が過ぎたことになる

家に来た時、既に4歳だったから
もう10歳を超えている

食べ物に対する執着は相変わらずなのだけれど
他の面では歳相応にすっかり落ち着いた
手がかからなくなって楽な反面、少し寂しい

かかりつけの獣医の所へ連れて行き
混合ワクチンの接種を受けさせ、血液検査もしてもらった
普段気になっているポイントを質問し
丁寧に検診してもらったのだけれど
どこも悪いところは無いようで一安心した

健やかに長生きしてくれれば
それだけで、後は何にもいらんよ

こんなにも犬を愛せるようになるとは
思いもしなかった

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May 20, 2014

今晩出かけるからラザニア焼いとくよ

合い挽き肉が安くなっていたら買うようにしているのだけれど
食材の組み合わせの都合で、使い切れないことがある
少量なら炒めものや辛味噌なんかにしてしまうのだが
ある程度まとまった量がある場合には、ミートソースを仕込む

ボロネーゼなどというほど本格的なものではないけれど
香味野菜、特にセロリはなるべくたっぷりと使い
時間をかけてしっかりと煮込んで作るソースは
色んな料理に使いまわしがきくので、とても便利だ

久しぶりにたっぷり仕込んだソースを冷蔵庫で二晩寝かせ
店用にムサカ、家用にラザニアを仕込むことにした

ホワイトソースは豆乳で作る
これのお陰で、随分軽い仕上がりになるのだ

晩に用事があって出かける日の早朝
ラザニア生地を茹で、耐熱皿に仕込んだ材料を重ね
オーブンで焼き上げる

豆乳を使う分少々軽くなるとはいえ
やはりどっしりとした料理なので
そうそう頻繁にやるわけではないのだけれど
偶にこうやって自分で焼いたのを食べて
安い赤ワインをコップで飲んだりすると
ああ、飾らなくて美味い料理だなと、しみじみ思う

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May 14, 2014

映画の時間、手巻き寿司

 フレデリック・ペータースの『青い薬』というBDを読んだ。細やかな感情の機微と画調とが、必然を持って結びついているようなBD。描き始めた当初の目的は出版になく、非常に個人的な動機からであったと知り、またその制作の経緯を併せて読み、必然の意味合いが腑に落ちた。

 恋愛とHIVを巡る、とても個人的な物語でありながら、道徳ではない、倫理の普遍的な問題に優しい光を当てている。美しく、胸を締め付ける物語だった。


               *


 その『青い薬』の最初の方に、アトム・エゴヤンの「ぞっとしない映画」を観るコマがあり、「もしかして『アララトの聖母』だろうか、それなら(ぞっとしない)なんて変だな」と首を捻っていた。後から二人の出会った年が2000年だと知り、それなら『フェリシアの旅』のはずだと思った。エゴヤンの映画は『エキゾチカ』『スイート・ヒアアフター』と追いかけて、何故か『フェリシアの旅』を完全に見過ごし、『アララト~』以降のものは見る機会がないままだ。どうにかして時間を作って観てみたいのだけれど、何時になることやら。


               *


 家で映画を観る時間がなかなか作れない代わり、4月に入ってから相方と二人で無理矢理に時間を作り、映画館へ行くようになった。時間が取れないのに無理やり時間が作れるというのも不思議な話なのだけれど、そういうもんだ。忙しく動きまわる場所から(一時的にせよ)いったん身を引き剥がす決意をしないと、ずるずるどこまでも忙しさに振り回されてしまう。

 決意していきなり『チスル』『アクト・オブ・キリング』と二週続けて観て、二人して大変なダメージを受ける。息抜きや娯楽を求めて映画館に行ってるわけではないし、倫理観や歴史観をグラグラに揺さぶられてグッタリするのは、とても良いことだと思っている。これもまた映画の醍醐味だ。

 それぞれ、まともな感想はとても書けそうにない。圧縮されているものが大きすぎるし、自分の中にこじ開けられた穴が大きすぎる。

 ただ『チスル』について一言だけ言えば、自国の黒い歴史に光を当てようとするような、つまり公正さを希求するような土壌が韓国の映画界にはしっかりと根づき始めている気がした。そしてそれは、日本の映画界が徐々に失い、すでに風前の灯火となっているものだ。

 そして『アクト・オブ・キリング』について、俺が何か言えるとすれば、あれは「戦争」「内乱」「歴史」「社会情勢」などといった分析の対象となりうる何かを追ったものではなく、思考で追尾することが不可能な人間の「真っ黒い不可解さ」を正面から見据えるため、そのツールを「発明」した映画だということだ。 

 罪そのものではなく、罪の意識が悲鳴を上げながらぱっくり傷をひらく。そこから歴史が見えている。それは罪そのもののように記録・記述されない。傷口から流れる漿液や血液のようにして、歴史は見える。決して思考で追尾されず、記録されず読まれない、ただ傷口のショックとそこへの共鳴だけが見せる歴史。仮に『アクト・オブ・キリング』が人間の歴史に関する映画であるとするなら、そういった意味の歴史であろうと思う。


               *


 手巻き寿司が爆発的に流行したのは、80年代のことだったように思う。CMなどを通じて仕掛けたのは広告代理店だったに違いないのだけれど、生鮮食料品の流通システムや生活様式の変化の中で、ある種の必然を持って流行したのではないだろうか。

 人の家でご馳走してもらったことは何度かあるのだけれど、自分で用意したことは一度もなかった。ふと考え直せば、特に難しい準備が必要でもないし、今のような大人数の暮らしにはもってこいのメニューではないか。

 食料を買い出しに行く日、ビンチョウマグロ、ハマチ、真鯛のサク、大きなコウイカを一杯、それに大判の海苔を仕入れた。翌日の仕事帰りに、胡瓜、アボカド、カイワレ、サーモン、カニ(もどき)を買い足す。

 持ち帰る際に圧力がかかって墨袋が破裂したコウイカを下ろすのには難儀したけれど、後はサクを手頃なサイズに切って大皿に盛り付けていくだけだ。少し甘みを入れた玉子焼きは相方が仕込んでおいてくれた。昆布を入れて硬めに土鍋炊きしたご飯と、ジャーに残っていたご飯を酢飯にして準備完了。

 こういう大皿を並べると、ちょっとワクワクするではないですか。

 レタスやマヨネーズなんかも用意して、カリフォルニアロールも出来るように。

 これ、良いなあ。人数多ければそんなに材料費もかからないし、随分贅沢な気分になれる。作るのも食べるのも楽しいから、またやろう。

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May 09, 2014

組み立てること

大きくて元気そうなズッキーニも出回ってきたし
トマトも健康そうなものが出てきた
新玉ねぎの美味しい季節なので
それらをサラダにしてお出しすることにした


ズッキーニとトマトは角切りにして
予めドレッシングに馴染ませておく
新玉ねぎとブロッコリースプラウトは
そのままの味を食べてもらいたいので
軽く塩を振るのみ

多少は季節感を出せたんじゃないかと思う


               *


セロリやベーコンの微塵切りをベースにして
トマトの味でひよこ豆を煮込んだ
皮を取り除いた生ハーブソーセージを入れて
香りとコクをプラスして仕上げてみる

独特の食感と甘味を殺さぬよう
複数の味わいで包み込むように煮込んだ
優しくて、少し「異国」を感じるような一皿にしたかった


               *


実は鯖よりも身の劣化が速い鱈
ポルトガル料理の手法を取り入れるようになってから
仕入れた後は早めに塩を打って脱水するようにしている
いったん塩〆してから加熱調理すると
独特の香りは抑えられ、旨味はグンと増す

適当な大きさに切った塩〆鱈を並べ
オリーブオイルを混ぜ込んだ香草パン粉をたっぷり乗せ
オーブンで焼き上げてみる

熱で調和したそれぞれの味わいと
幾種かの異なった食感が口の中で融和する
ディルソースを合わせようかと迷ったのだけれど
過剰さを嫌って葉をあしらうのみにした
付け合せはジャガイモのガレット
好みでレモンを絞っていただくことに


               *


美味しいモロッコ料理を食べて以来
レモンの塩漬けを常備するようになった
北アフリカの料理をあれこれ調べるようにもなり
偶に、そういった要素を家の料理にも持ち込んだりしている

フレッシュのコリアンダー(パクチー)を沢山刻み
イタリアンパセリも合わせて微塵に刻む
レモンの絞り汁とオリーブオイル、塩胡椒
それに何種類かのスパイスとすり下ろした大蒜を合わせ
鶏腿肉を漬け込んでおく

耐熱容器に輪切りの玉ねぎを敷き詰め
オーブンでじっくり焼きあげると
たまらない芳香がキッチンに充満する

北アフリカ風のグリルチキン
塩漬けレモンの薄切りをのせ
赤ピーマンとアスパラガスのピクルスを付け合わせに
まるで万華鏡のような香りと味わい
どこかの国にありそうで、実は何処にもない料理


               *


ムール貝をワイン蒸しにして一度取り出し
その出汁をソースに仕立てて茹で上がったパスタに絡め
皿に盛ってからムール貝をあしらい
イタリアンパセリを散らして仕上げた

シンプルだけど、良いパスタになったと思う


               *


コース料理を組み立てるのは、本当に難しいけど面白い
毎回毎回、脂汗が出そうなぐらい考えこむのだけれど
綺麗に食べきっていただいた皿を見るのは
とてもとても嬉しいもんです

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Apr 20, 2014

動く意志

 何度か繰り返し自問してみた。「俺が行く必要はないのでは」と。愚問だった。

 よく晴れた春の朝だった。パーカーの上にBLOW ONE'S COOLのTシャツを着た。

 「何、そんな重ね着すんの?」
 「そや、80年代スケーターやからな」
 「オッサンには厳しい格好やな」
 「はは、まあええやん」

 仕事を半日で切り上げて駅に向かった。コンビニで買った冷やし担々麺をホームのベンチでかっ食らっている時に、既に電車に乗っていた相方からショートメッセージが届いた。

 (中止っぽい)
 (まじかいな)

 肩や背中の緊張が緩んだ。それでもまあ、不確定な情報しかないから、とりあえず現地には行こうということになった。車両で落ち合い、一路大阪へ。

 一瞬錯綜しかけたが、Twitter上の情報は直ぐに整理されていった。レイシストによる鶴橋駅前での街宣は中止になったという。最悪の気分で喉を枯らす覚悟をしていたのだが、そんな必要は無くなった。

 鶴橋駅を降りると、大きな警察車両に待機している警官たちや、路上に立つ警官たちの姿が見える。ただ、彼らの表情に緊張は見えない。

 相方に案内してもらって、初めての街をブラブラと歩く。カナリと、買い換える必要があったサムギョプサル用のプレートを買った。目に映る全てが新鮮で、心躍る。週末の活気あふれる商店街の空気が、とてもとても楽しい。

 見知った顔に何人か出くわす。安堵と喜びで、皆表情が柔らかい。

 「あっ! そのTシャツ! 本人ですやん!!」
 「せやっ! 気合入れよう思て着てきてん」


               *


 俺が行く必要はあったのだと、改めてそう思った。愚問は、問のカタチを解きほぐせば「誰かが行ってくれるはずだ」という人任せな発想の言い換えに過ぎない。誰も皆「誰かがやってくれる」と思ってしまえば、民主主義は終わる。

 「誰もやってくれない」という不信ではない。むしろ必ず誰かが動くという信頼があるからこそ、俺も動くのだ。そういうバラバラの個々の動く意志が束になり、奴らを止めたのだ。


               *


 明るいうちに鶴橋を離れ、友人と落ち合い、天満ではしご酒をした。ちっぽけなヒロイズムに酔ってはいけないと思った。その代わり、しこたま飲んだ酒に酔った。最悪の日を覚悟していたのに、一生忘れられないような最高の1日になった。

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Apr 11, 2014

中望遠の視線

素人がいくつか単焦点レンズを買って
日常的にマニュアル操作で画像を撮るようになり
なんとなく、自分の好みのようなものが分かってきて
だんだん、自分の思うような絵が切り取れるようになってきた
自分の腕が上がったのではなくて
レンズの特性のようなものが、少し分かってきたからだと思う

普段良く使っているのはZeissのDistagon 28mm f/2.8
何も考えたくない時に使うAFのパンケーキはZuikoのDIGITAL 17mm F2.8
マイクロ4/3なので、実質の焦点距離はそれぞれ56mm, 34mm
人間の視野角に近い~広角である分、構図を決めるのにあまり苦労しない
被写体へ寄る動作は多くても引く動作は少ないということ

何年か前に兄から譲り受けたContaxGマウントの45mm f/2 PlanarT*
実質の焦点距離は90mmで
所謂「中望遠」の単焦点レンズということになる
こちらは通常の視野よりも狭く切り取られた構図になるので
自ずと被写体から引く動作の方が多くなる
しかし、引いたところで視野に近い画像が切り取られるはずもなく
そのせいか、少しドラマを感じさせるような動的な絵になることが多い

不思議なことに
この視野角の狭い中望遠の絵が
俺の心象に残る風景に限りなく近い
それがどういうことなのかを
このところ、ぼんやりと繰り返し考えている

例えばドラマーのステージおける位置であるとか
群れている人たちをいつも遠目に見てきたこととか
すぐに人と距離を置きたがる性質だとか
色々、原因はあるのだろうけれど
多分、近くではなく、遠くを見て歩いていることが多いから、だ
なのでよく人とぶつかるし
見落とすはずがないような目印を見落とす

それでもまあ
こうやって四十数年、生きてみると
この目線も悪くはないなあと、緩い自己肯定が出来るようになった
それが成熟なのか老いなのかは、わからないのだけれど

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